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3月に祖父が亡くなって、GWに納骨が済んだ後すぐに親しかった友人の祖母が亡くなった。近くに住んでいたのでお通夜・お葬式に参列して、その後に二・七日にお供えものを持ってお仏壇に手を合わせてきました。
祖父はもちろん、友人の祖母も一緒に習い事をしたり夕食をとったりして親しくしていたので、ショックが大きかったです。
2人とも、もっと長生きしてほしかった。
祖父には亡くなる三日前に会っていて、話をし、一緒にコーヒーを飲んで、オセロをし、姪の写真を見せました。その土曜日には一緒に散歩に行こうと思っていたのに、その土曜日に倒れてそのまま帰らぬ人となりました。
なんでもっと会いに行かなかったのか、もっと孝行したかった、どうすればもっと長生き出来たろう、もう会えない…そう思うと胸が潰れるくらい辛くて、しばらくは何もする気力がわきませんでした。絵も描けないし本も読めない、音楽も何の慰めにもならなくて、親戚のお手伝いをしつつ、祖父の思い出に更け、ネットで同じ体験をした人の悩み相談や体験談を読んでいました。
納骨式を終わらせた今は随分とマシな精神状態に戻っていますが、正直な話、祖父の死を受け入れたと言うよりは、亡くなった事実を考えないようにしているだけで、事実と向き合うのをやめてしまったのです。
実際、未だに実感がわかない気持ちもあるのです。船着き場を見ると、祖父が船に乗って網を編んでいるんじゃないかと、つい麦わら帽子を探してしまいます。
きちんと受け入れないわけではないけれど、亡くなった事を殊更強く意識しないで、祖父との大事な思い出や自分の知らなかった祖父の逸話を教えてもらったり、一人暮らしの始まった祖母のちょっとお手伝いをしたりと、悲しい事実ばかりを考えず祖父との思い出や残してくれたものを台無しにしないよう今自分に出来る事をしています。
いつかは自分も祖父の所へ行くのだからそれまでは精一杯生きなければと言い聞かせて、頑張ろうと思っています。
家でのんびり過ごすよりバリバリ働いて大漁自慢をする方が好きだったから、従兄が漁へ連れていく約束をしていたのを当日まで楽しみにしていたそうなので、また漁に行くぞと言う気持ちのまま亡くなり、寂しがり屋だった祖父だから子供・孫・曾孫と大勢に囲まれて見送られて、最期はきっと幸せだったんだろうと思う事にしています。
最後に
ネットで励まされた記事が二つあって、その一つに、『悲しみや後悔が深いのは、それだけ愛情が深かったからです』と言う文言がありました。
『一緒に過ごした幸せな時間や情景を心に浮かべる事が出来るのなら、それで良いじゃないですか。そこには愛があるのですから』と。
同じ体験をした人達の言葉に少し心が救われました。
みんな、それぞれ乗り越えて頑張ってるんですね。私も頑張ります。